2024 12-05 |
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2007 08-29 |
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自分でも腹立たしくなってきたので、再びトップ画像を替えてみた。
お題について システム面ではかなり過去のさしみ賞を踏襲した部分が大きかったので、独自性を打ち出すとしたらそれはお題の部分になるだろうと思っていた。 実のところ、当初お題を設けずにまったくフリーのコンテストにしようかという考えも少しだけあった。 お題を出すというのは、書く人に一定の縛りを与えるということだ。だから、あまり難しくすると何も書けないという状態を生んでしまうことになる。しかし、全く縛りを設けないと今度は判定の基準が分かりにくくなってしまう(公平さを保つのが難しくなる)ので、結局フリーテーマの案は棄却した。 そんなこんなで考えた結果、 1.「何だろう、これ」というフレーズから始める。 という二つの条件が最終的にまとまった。 最初に採用することにしたのは条件2の方で、これはテーマというよりは形式の指定とでもいうべき条件に近い。 人数を指定するというアイデアはわりと早い時期からあった。問題はその数ということになるが、3人にしたのはさしみ賞選考スレにも書いたけれど、もう一度説明を加えておく。 多くのネタは登場人物の会話を中心として成立している。会話の最小単位であり、基本でもあるのは2人でのやりとりだ。そして、ネタの中における2人による会話はたいていボケ/ツッコミ、もしくは対比という構図をなしていることが多い。そこに新たな3人目が加わることで、ボケ/ツッコミを仲介したり、三者三様になったり、色んな展開が生まれてくるだろう。その持って行き方に注目してみよう考えた。 この条件は非常にうまく消化しているものから苦労したと思われるものまであったけれど、読む側としては面白かった。また、どんな3人を使うかという副次的な楽しみもでき、まったく予想外の組合せを使ったネタには驚かされた。 もう一つの条件1の方は、話のとっかかりとして設定したもので、こちらにはあまり深い意味は持たせていなかった。だから、「何だろう、これ」とは言っても、具体的に「これが何か」をテーマとしたネタはそう多くないだろうと予想していた。実際、会話の起点として用いられているネタの方が圧倒的に多かったと思う。 そんな中で「これが何か」をテーマとしたネタには意表を突かれ、最終的に優秀作品として選ばせてもらった。 今回のお題に関して、自分自身はそこまで難易度の高いものだとは思っていなかったが、レスを読むと意外とハードルが高くなってしまったような印象がある。 お題を設ける以上制約が出来るのは避けられないけど、今回独自性に走ろうとするあまりそれがきつくしてしまったのかもしれない。 特に、たとえばシリーズや夢物語など、既に一つのパターンが成立してしまっているスレでのみ書いている人にとっては、スレの世界とどう結び付けていくかが難しかったのかなと思う。 主催にあたってネタを多く読めるイベントとして成立させたい、というのが一つの大きな目標だった。 お題の難易度がそこにどの程度影響したかはわからないけど、お題による制約はかなり熟考すべき課題だなぁと、スレを進めていく中で感じた。 今回はここまで。 PR |
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Comment |
お題を考えるのは難しいですよ。本当に難しい。
多くの人に参加してもらいたいと考えるなら、 やはりお題は簡単な言葉の方がいいような気がします。 でもそれだと独自性は出せないですよね。 お題に関しては独自性を諦めて ありふれたものにするべきなのかもしれません。 でも「ありふれたお題」がなんであるかと考えると これがまた難しかったりします。難しい。 昔狩狩で流行った壷スレなどを見ていても 「面白いネタを引き出すお題」というのはとても難しく、 なかなか出題者の思うようになっていなかったように思います。 簡単そうに見えても全然ネタが書かれなかったり、 一見非常に難しそうなお題が良いお題だったりしますし。 お題は賞を運営する上で一番難しい問題だと思います。
Posted by homare [Edit]
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こんにちわ。おひさしぶりです。
久しぶりなのに申し訳ないのですが、少し意見を言わせてください。 |実のところ、当初お題を設けずにまったくフリーのコンテストにしようかという考えも少しだけあった。 |お題を出すというのは、書く人に一定の縛りを与えるということだ。だから、あまり難しくすると何も書けないという状態を生んでしまうことになる。しかし、全く縛りを設けないと今度は判定の基準が分かりにくくなってしまう(公平さを保つのが難しくなる)ので、結局フリーテーマの案は棄却した。 僕はこういう考え方が最近のさしみ賞でもっとも合点がいかない点だと思っています。「判定の基準」とはいったいなんでしょうか?それは僕には「先入観」そのものであるように思います。「面白いネタとはこういうものである」という先入観です。 基準を作っておけば、確かに判断は公平になるでしょう。そういう競技も世の中にはたくさんあります。しかし、ネタは本質的には競技では無いと思います。ネタに決まりごとはないはずです(社会のルールはありますが)。あるとすればそれは既成概念であって、それをどれだけ華麗に、読者の納得できる形で、そして面白おかしく打ち破れるかというのがネタの面白いところではないでしょうか。そうであるならば、基準は作品の生まれる前にだけ現れるのではなくて、作品の生まれた後にも、つまり読者の考え方が変わったその後にも出てこなくてはならないのではないかと僕は思います。そのようにして読者と作者はネタを「発見」し続けることができるんじゃないでしょうか。 それに当てはまるような例が、 |もう一つの条件1の方は、話のとっかかりとして設定したもので、こちらにはあまり深い意味は持たせていなかった。だから、「何だろう、これ」とは言っても、具体的に「これが何か」をテーマとしたネタはそう多くないだろうと予想していた。実際、会話の起点として用いられているネタの方が圧倒的に多かったと思う。 |そんな中で「これが何か」をテーマとしたネタには意表を突かれ、最終的に優秀作品として選ばせてもらった。 まさにこれなのではないかと思います。初めから”「これが何か」をテーマとしたネタには高い点数が与えられる”とか、”テーマの扱い方が少数派ならば高得点”いう基準があったわけではないと思います。そういう意味では(つまり最近のさしみ賞の風潮から言うと)これは「公平」な判断ではないでしょう。しかしネタというのはそもそもそういうものなのです。 賞を与える作品を決めるというのは困難なことです。判断基準を前もって決めておくことはそれを楽にするでしょうし、見た目だけは「公平」にもなるかもしれません。しかしそれは本当は不可能なのです。そしてそれは本当にネタを鑑賞する方法ではないと僕は思っています。
Posted by 3を [Edit]
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>homareさん
お題は重要であり難しいということは、今回実際に主催してみて強く実感したことの一つです。 当初からこれまでになかったようなお題を出したいという思いが強くあったため、結果としてそれが少し走りすぎてしまったかなぁと感じます。考えすぎたというか、奇を衒いすぎたというか。 お題は間口の広さという風にも捉えられると思うのですが、間口が広ければ(簡単なお題であれば)書きやすく奥の人が参加するのかというとそうでもないような気がします。ガチガチに制約を設けた難しいお題がネタを書きにくくするということは確かに予測できるのですが、逆に書き手に委ねられる部分が大きいお題も、人によってはとっかかりがなくて書きにくいということもあるように思います。だからこそ、そのバランスをよく考える必要が生じてくるわけですが。 終わってから思い返すともう少し工夫の余地があったと言えますが、コンテストのお題を考えるのは自分にとって初めての体験だったこともあり、難しくも楽しい作業ではありました。
Posted by Shigin [Edit]
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>3をさん
まず初めに、「ネタに決まりごとはない」という3をさんの意見には同意します。 自分でも、普段ネタを読むときに「こうであらねばならない」と意識して読んでいるわけではありません。ネタに「かくあるべき」といったものは本来ないのだと思います。マルセル・デュシャンではありませんが、書いた人がネタだと言えばそれがネタになるのでしょう(書き手としては少し意識が違ってくるのですが、それは今回の件に直接関係ないので割愛します)。 また、読者の既成概念を交わしたり崩したりしていくところにネタの面白さがあるという主張に関しても、確かにそのような側面があると思っています。 これまでたくさんのネタを読んできて、着眼点や表現方法、形式といった点でさまざまに「こんなやり方もあるのか」と思わされることが何度もありました。それは、単純に爆笑したり萌えネタに対してニヤニヤするのとはまた違った「面白さ」であると言えます。ネタを読む楽しみと言ってもいいかもしれません。 さて、これまで自分はさしみ賞を「ネタをたくさん読めるイベント」として捉えてきたと強調してきました。そうすると、ネタに一定の基準を設けることは確かにおかしなことだと言えます。 しかも、ネタには計量可能な基準がない以上、最終的な受賞者の決定は自分の主観によります。その意味では、完全な公平性を求めることもまた、3をさんの仰るとおり不可能です。 しかし、それでも自分は一定の基準が必要だと思うのです。 なぜなら、さしみ賞はネタを読むイベントであると同時に、れっきとしたコンテスト(ネタを競う場)でもあると考えているからです。この考え方はさしみ賞の創設当初の意図からはかなりかけ離れているのかもしれませんが、自分にとってのさしみ賞はそうです。 コンテストである以上、主催者は賞を選ばなくてはなりませんし、参加する人の多くは賞を狙ってくるでしょう。そのために一定の基準を設けることはやはり必要なのではないかと思います。 主催者がどのような意図でもってお題を出したのか、どのようにして賞を選考するのか、それがある程度分かっていないと、書く側は参加しにくいのではないかという気がします。 ですから、前もってこれこれの点を重視するという程度の基準を設定し、それを明らかにしておくことは賞の開催にとって大事なことだと思うわけです。 「決まりごと」や「基準」を設けることは、ネタを鑑賞する態度としては無意味ではありますが、コンテストを開催する際には(主催者にとっても書き手や読み手にとっても)ある程度有用なことではないかと思います。
Posted by Shigin [Edit]
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(追記)
だがしかし。 基準を設けたのは結局自分の逃げなのかなぁとも思えてきました。 自由にネタを書いてもらって、自分が好きなように賞を与えて、「これが俺が面白いと思ったネタだ、どうだ文句あるか」と言えるだけの力量も自信も自分にはありません。 お前が主催してお前が選ぶんだから、それが当然だという考えもあるでしょうが、どうしても多くの人が納得いく形で進めていきたいと思ってしまいます。 そこに捕らわれるあまり、やたらと公平性に拘ったり基準を重視したりと、エクスキューズを用意していたという部分も多少あるように思います。 上に書いたように、普段ネタを読んでるときはもっと気楽に自由に読んでるはずなんですけどね。 できるだけ制約を少なくしたいと言いながら、自分自身が制約に縛られていたと言えるのかもしれません。
Posted by Shigin [Edit]
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