2024 05-22 |
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2007 11-30 |
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さて、ネタスレアルバムの記念すべき第1回はこのスレを取り上げようと思う。
紺野あさ美の顔文字講座 いきなり手前味噌かよ!って話だけれども、最初に自分でスレを持って書いたネタとして想い出に残っていることは確かなので。 「顔文字講座」は、書き始めたのが2002年の7月。モー板に住みつき始めたのが2001年の11~12月頃だから、だいぶ板の雰囲気にも慣れていた頃だったかとは思う。参加型のネタスレにちょこちょこ書き込んだりもしていた。 その時一番強く感じていたことは、メンバーそれぞれの顔文字があってそれが非常に面白くかわいらしいということだった。本当に良くできているなぁと感じた。当時自分が特に好きだったスレは「ホテルで相部屋、微妙な二人。」というスレだったのだが、あのスレなどは顔文字があることでスレが機能しているというか、より面白くなっている部分が確かにあったと思う。 一方で2002年の初め頃、何かのきっかけで狩板という板があることを知り、そこでいくつかのネタスレを読んだ。その中で特に感銘を受けたのがこのブログでも以前取り上げた「楽しい保田一家」。当時としてはかなりよくできたAAネタだったあのスレを読んで、自分でもこんな風にネタを書いてみたいなーという思いが漠然とながら湧いてきた。 以上のような経緯から、顔文字の紹介をネタにしてしまえばいいんジャマイカと思いついたのが、「顔文字講座」を書くきっかけになった。 今回この記事を書くにあたって少し読み返してみたら、懐かしさとともにかなりの気恥ずかしさに襲われた。 最初のほうはAAがズレまくってるし、一つ一つの小ネタもかなりベタだ。自分で小ネタを思いつくと言うよりは、定型化された既存のフレーズやネタ(それもモー板系というよりは2ch系の)を適宜散らしていったような感じがある。まあその後のネタでも同じような傾向はあるんだけれど、このネタでは特にそれが顕著だと思う。もちろん当時はそんなこと考えもしなかったけど。 講師とアシスタントの人選は、自分が特に好きな顔文字のメンバーをそのまま使った。 ただ、ポンちゃんに関しては当時から才女という触れ込みがあったことや、狼板にあった「紺野先生」シリーズなどの影響もあった。基本的な講義風景のAAも「紺野先生」を少し参考にした。 あいぼんさんに関しては、最終回にも書いたように本当にただ顔文字が好きだからという単純な理由だった。紺野先生はもともと矢口のラジオのコーナーから生まれたネタだから、矢口を使ってもよかったけれど、実際の絡みということを考えると矢口よりはぼんさんの方が書きやすそうだったので、最終的にぼんさんを使うことにした。 当時はわりと軽い気持ちで使い始めたこの2人だけど、書き進めるうちにどんどん愛着が湧いてきて、結局その後の自分のネタに最も多く登場するキャラクターになってしまった。 あと、このネタを書いている途中に、いわゆる8.31ハロマゲドンが起こった。当時は今以上にマジヲタだったことや2期タンポポが大好きだったこともあり、ヲタとしてもかなり打ちのめされたんだけど、同時に「顔文字講座」の進め方にも少し迷いが生じた。 何事もなかったように粛々と進めた方が良いのか、ハロマゲドンのことを絡めるべきか。迷ったあげく、スルーするのもかえって不自然かなということで、ハロマゲドンのことも入れつつ書くことにした。そういう意味では、後藤の回は時期的な偶然によってできたネタだとも言えると思う。 「顔文字講座」は当時の現役メンバーとOGメンバーを紹介してほぼ一ヶ月で終了した。 一回の分量が短いとは言え、今から考えるともの凄いペースで書いていたんだなぁと思う。でも当時はペースが速いという意識は全然なかったし、書くのが楽しくてしかたなかったので、あっという間に最後まで到達したという感覚だった。 最終回を書いた後も、それなりに一つのものを完成させたという思いはあったけれど、むしろもっと書きたいという思いの方が強かったように記憶している。それが次の「あいぼんさんのモーヲタ的生活」につながった。 まあ今読むと考えよりも勢いが勝っていたことは否めなくて、正直なところ苦笑してしまう箇所もあったりする。でも、自分のスレを持ってネタを書くというおもしろさや、そこに少しずつレスがついていく嬉しさを初めて知ったと言う意味では、このネタに対する思い入れは強い。 参考記事 「楽しい保田一家」のこと 「楽しい保田一家」のこと その2 PR |
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2002年にネタ書きを始めた人って多いみたいですね。当時は「ネタ職人」と呼ばれていたと思います。数が増えてありがたみがなくなったのか最近は言わないみたいですがw
当時から2chは見ない人でしたが、顔文字講座の噂は狩ヒキーの私のところにまで伝わってきていました。かなり話題になっていたと思います。 この顔文字講座はなるほど後に"顔文字のstructurism"を発表する人のネタだなwと思います。それから画面が整頓されていて美しいと思い。書き散らすタイプの私からすると羨ましい限りです。
Posted by 3を [Edit]
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>2002年にネタ書きを始めた人って多いみたいですね。
世間的な娘。熱の度合いから言うと少しずつ下降に向かい始めていた時期だと思うんですが、モー板としては一番活気があった頃なんでしょうかね。 >顔文字講座の噂は狩ヒキーの私のところにまで伝わってきていました。 これは初めて知りました。 顔文字講座を書き始めたのとほぼ同時期に羊に「ネタ職人について語るスレ」というスレが立って、そこで少し取り上げられて非常に嬉しかったのは憶えているんですが、狩で顔文字講座の話は見た憶えがないです。 当時の感覚だと、羊は見ても狩は見てないという人は結構いたように思うんですが、逆のパターンは少なかったんでしょうか。 >画面が整頓されていて美しい 自分ではあまりそうは思えないのれす。 フォーマットというか、型はあらかじめ用意してましたが、今見るとかなり改善の余地があるなぁと思います。 その当時はあまり読みやすさということを意識していませんでした。
Posted by Shigin [Edit]
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|世間的な娘。熱の度合いから言うと少しずつ下降に向かい始めていた時期だと思うんですが、モー板としては一番活気があった頃なんでしょうかね。 | 我々はそもそも泥舟に乗るのが上手な人種なのかもしれませんねw (冗談です、気を悪くしないでください) | |当時の感覚だと、羊は見ても狩は見てないという人は結構いたように思うんですが、逆のパターンは少なかったんでしょうか。 | かなり少なかったと思います。それでも一応は狩のことは狩で、羊のことは羊で、という了解はあったと思います。狩の良い住人であるには狩のスレさえ読んでいればこと足りたのですが、今はそうではありません。
Posted by 3を [Edit]
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>狩の良い住人であるには狩のスレさえ読んでいればこと足りたのですが、今はそうではありません。
人が減ったというのも大きいとは思いますが、やはりそうなんでしょうかね。 ただ、今でも(羊はともかく)狼との雰囲気の違い、書かれるネタの違いは明確にあると思います。 一方で、狼で生まれたキャラがその後も至る所で使われるというパターンは多いので、狩あるいは狩狩を見ているだけでは理解できないネタも増えたのかなぁという気はします。そういえば、保田一家にもそんなネタがありましたね。
Posted by Shigin [Edit]
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