2024 05-01 |
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2008 01-25 |
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身も心も寒い。
ネタスレアルバムの第3回。今回取り上げるのはこのスレ。 吉澤のクールな日記帳 「石川の黒い日記帳」で有名な日記帳シリーズのひとつ。このスレは今でも時々読み返してしまう。 立ったのは何と2000年5月で4期加入直後。リアルタイムで読んでいたわけではなく、2003年くらいに初めて読んだような記憶がある。 「黒い日記帳」の石川さんが今の石川さんとはかけ離れてしまっているのと同じく、ここに出てくるよっちゃんも今の彼女のキャラとは少し違う。少なくとも今のような男前で豪快なキャラではない。 このスレでのよっちゃんは、ライバルと公言した後藤や教育係の矢口と仲良くしたいのに素直になれなくて、女の子らしく可愛いらしいこともしたいのにイメージ崩壊を恐れてクールに振る舞ってしまう。ごっちんの不器用さとミキティのツンデレを足して2で割ったようなキャラとして扱われていて、当時のモ板の雰囲気を知らない自分としては、それがまず新鮮だった。 そして、このスレのもう一つ面白い点は、途中からだんだん矢口との関係に萌えるスレへと変化していくところだ。 8 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/14(日) 14:11これが、 165 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/18(木) 18:29こうなって、 289 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/05/24(水) 20:44最終的にこうなる。(~^◇^)<おいらはきれいな矢口。 ――― やぐよし。 君は信じられるか?矢口真里と吉澤ひとみのカップリングだぜ? 今こんなスレを立てようものなら、散々煽られ叩かれ「ねーよwww」と一蹴されて終了だろう。あああ今すぐタイムマシンに乗って8年前に行って、このスレに書き込んでる人に「矢口と吉澤は5年後こうなるんだぜ!!!」と教えたいっ!そんな衝動に駆られるほど、今となってはちょっと想像しがたいこの組み合わせ。297なんかは今初めて読んだとしたら爆笑してただろう。 自分が初めてこのスレを読んだ2003年当時ですら、矢口はどちらかというと石川さんとの絡みが多くて、やぐよし師弟関係はもはや過去のものとなっていたように思う。 自分が持っていないものは羨ましく思えるように、自分がこの目で見ていないものは美しく素晴らしく見える。 よっちゃんが矢口に対して徐々に心を開き、慕うようになる過程を描いたこのネタを、俺は気持ち悪いほどの満面の笑みを浮かべつつ読んだ。だってこのスレの矢口が可愛すぎるんだもん。読んでからしばらくの間、やぐよし熱が高まって小説などを漁っていたことを思い出す。 さらに、やぐよしを軸として、いちごまとか裏なっちとかが絡んだストーリーが展開していくさまも面白い。なっちの黒さをネタにするのは、この頃から変わってないな。 ところで、自分は昔のネタスレというと、あくまで娘。をネタのための駒として扱っているような、わりとドライな視点のものが多いような印象を持っていた。殺伐とした雰囲気というか。けれども実際には、こうした「萌え」に焦点を当てたようなネタも随分昔からあったということも発見だった。 参考リンク やぐよし - キャラクター小説の世界 黒い日記帳 - 狩狩Wiki PR |
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Comment |
へー!
詩吟さんってこういうスレも好きなんですか なんかちょっと意外ですね
Posted by homare [Edit]
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このスレ初めて知りました。やぐよしといえばリンク先のキャラクター小説の世界さんにもあるように、すてっぷ作品、という感じでした。リアルの大全盛時代ですね。青春小説的といえるのかもしれません。
>君は信じられるか?矢口真里と吉澤ひとみのカップリングだぜ? >今こんなスレを立てようものなら、散々煽られ叩かれ「ねーよwww」と一蹴されて終了だろう。 本当に「リアル」は嘘くさくなってしまいました。我々はある種の理想を(あるいは妄想を)アイドルに抱いていますが、そういうものは現実の裏側にはないことをヲタはみんな納得してしまったのです。いまやリアルの作品は理想をそこに込めるために書かれているのではなくて、現実を呪うためか、諦めるためか、良くともせいぜい忘れるためにばかり書かれているような気がします。もちろん全部が全部とはいいませんし、それは悪いことではありません。 >ところで、自分は昔のネタスレというと、あくまで娘。をネタのための駒として扱っているような、わりとドライな視点のものが多いような印象を持っていた これは私と正反対の印象です。今は物凄くドライで、昔は本当にアイドルが好きな人が書いていたという印象です。 >けれども実際には、こうした「萌え」に焦点を当てたようなネタも随分昔からあったということも発見だった。 今となってはこれを「萌え」と呼ぶのかもしれませんが、私は違和感があります。無理解のせいかもしれませんが、どうしてもこの言葉は私にはドライに響きます。「萌え」というのはエピソード技法の一分類の名称というような気がしてしまうのです。実際、むかし狩と2chのどこかのアニメ関連の板で、全く同じネタがキャラクターをすげ替えて貼られるという事件がありました。この事件はもはや娘。は駒であるということを象徴する事件として私にとってとても印象深いものです。昔はアクチュアルの世界のテレビで誰が何を言ったということが織り込まれていなければネタではないかもしれないと思わなくは無かったのですが、これ以降はそんな考えは無くなっていきました。そういう意味で、現在では大抵のネタは昔に比べてドライで、さらに「萌え」の含有率が高くなっているように私には思えます。これらは両立するどころかかなり近しい概念のように私は感じています。
Posted by 名無し娘。 [Edit]
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> (~^◇^)<おいらはきれいな矢口
で生搾り磨き麦噴いた やぐよしってヲタネタでは一番先に廃れたような気がするけど 結局残ってんのはこの二人なんだよなあ… なんか釈然としないわね プンスカ
Posted by dokoka [Edit]
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>homareさん
そうですか? 可愛い娘さんたちが楽しそうにしているのを見るのは大好きですよ。 辻加護とかやぐいしとかさゆみきとか。仲良きことは美しき哉。 >dokokaさん やぐよしはリアルでの接点自体があまりありませんでしたからね。 >結局残ってんのはこの二人なんだよなあ… やすいしも辛うじて残ってるよ!
Posted by Shigin [Edit]
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>名無し娘。さん
自分自身、昔のネタスレをリアルタイムで読んでいたわけではないですし、後から読んだものの数もそう多くはないので、バイアスがかかっていたり一面的な見方をしている部分はあると思います。 その上で書いているので、見当違いなこともあるかもしれません。 さて。 >いまやリアルの作品は理想をそこに込めるために書かれているのではなくて、現実を呪うためか、諦めるためか、良くともせいぜい忘れるためにばかり書かれているような気がします。 自分の場合、現実の質的な変化というよりも、単純に供給量(いわゆる露出)が減ってしまったことがかなり大きいと思っています。自分が書いたネタはほとんどリアルネタでしたが、あれはメディアを通じて伝えられるハロプロメンバー像に依存している部分がかなりあります。その点で、昨今の状況はかなり厳しいものになっていると思います。 >無理解のせいかもしれませんが、どうしてもこの言葉は私にはドライに響きます。「萌え」というのはエピソード技法の一分類の名称というような気がしてしまうのです。 登場人物に特に面白いことを言わせなくても成立するような作品、つまり登場人物同士が関係しているということそれ自体に意味がある作品を「萌え」ネタと呼ぶのではないかと思っています。 台詞の面白さとか、ストーリーの巧妙さとか、そういった外部的な基準を持ち込む必要がないという点で、これはある意味非常に純粋性の高いネタです。キャラクターが「いる」ことに意味があるわけですから。 しかし一方で、外部的な基準をわざわざ持ち込まなくても成立すると言うことは、その基準はどこにでも適用可能だということでもあります。つまり、「萌え」ネタで使われる会話やストーリーはあくまでオプションなので、どの登場人物にも使えるわけです。 この「クールな日記帳」に書かれている多くのやぐよしエピソードにしても、たとえば保田石川や、今ならガキカメなどに使い回すことが可能でしょう。このような文脈に依存しない性質をさしてドライであるとするならば、名無し娘。さんの指摘はもっともだと思います。
Posted by Shigin [Edit]
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ただ、自分がドライと言ったのはそういう意味とは少し違います。これに関しては説明が足りませんでした。
昔のネタというのは、たとえばこのメンバーはこうあるべきといった暗黙の了解のようなものにあまり縛られていなくて、面白ければOKという印象がありました。まず面白いことありきで、娘。はあくまでそのための材料というか。これはあくまで自分の個人的な思いこみなので、そうではなかったと言われればそれまでですが。 しかし、前述のように「萌え」ネタ=文脈に依存しないネタと考えれば、特に現在狼板に多い「萌え」ネタは非常にドライなネタの隆盛と見ることもできそうです。 >昔はアクチュアルの世界のテレビで誰が何を言ったということが織り込まれていなければネタではないかもしれないと思わなくは無かったのですが、これ以降はそんな考えは無くなっていきました。 名無し娘。さんがそう思うに至った理由とは違いますが、これについてはここ一年くらいで自分もそう思うことが増えてきました。 自分の場合、その理由は最初にも挙げた供給量の低下です。今は「テレビで誰が何を言った」とかそういうことをネタの中に入れても、それを共有することが難しくなっています。というか、自分自身その共有の場から取り残されつつあります。 それを回避するため、定型化されたベタなフレーズや小ネタ(分かり易い例では「自慢すんらもん」とか「ミキティは肉が大好き」とか)を使い回すということが考えられますが、それにも限界があるでしょう。 なので、今ではハロプロと全然関係ない題材を取り上げて話を作っていくことも、ありなのではないかと思います。ただ、そこでも共有されているメンバー像はできるだけ保ちつつ作っていくのがいいのではないかとは考えています。
Posted by Shigin [Edit]
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